金田博之プロフィール

1975年山口県下関市生まれ。
世界のMBAランキングで首位のINSEAD卒業。

1998年、外資系大手ソフトウェア企業のSAPに新卒で入社。30歳からマネジメントを歴任し、7年連続グローバル・トップタレントに選出される。

2014年、日本の大手製造・流通企業のミスミグループでGMとしてグローバルDX新規事業を推進した後、世界最先端のAI/チャットサービスを提供する外資系IT企業「ライブパーソン株式会社(LivePerson、NASDAQ上場)」の代表取締役に就任。3年間で毎年300%を上回る勢いで成長(アジア全体売上の76%)

2020年12月、クラウド型ネットワークセキュリティ分野で 10年連続グローバルリーダーに選出されている「ゼットスケーラー株式会社(Zscaler、NASDAQ 上場)」にて日本を含むアジア全体を統括する代表取締役に就任。

プライベートでは、セミナー、企業研修、大学、勉強会で講演し10年以上の講師経験を持つ。参加者は累計5,000名を超える。これまで10冊の書籍を出版。プレジデント、ダイヤモンド、東洋経済、日経ビジネスアソシエなど各種メディア掲載実績多数オフィシャルメルマガは2017年〜2020年まぐまぐ大賞キャリアアップの部連続受賞。バンド活動でボーカルとして毎回100名を上回るワンマンライブも開催。

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悔しさ、焦り、危機感、コンプレックスの感情

 

書籍やメディアで紹介されているプロフィールの印象と違い、私もたくさんの苦労や修羅場を経験してきました。

少し、私の学生時代のことをお話しさせていただきます。

私は、山口県下関市の田んぼに囲まれた田舎で、普通のサラリーマン家庭に育ちました。

 

 

小さい頃から引っ込み思案な性格でした。みんなが校庭に遊びにいっているときに、1人教室に残って本を読んでいるような子供で、仲間外れやイジメにあったこともあります。ランドセルを傷つけられたり、自転車をボロボロにされたこともありました。

幼・小・中学校と、26人1クラス(男子13人、女子13人)のまま同級生と過ごしてきたので、一度こうなるとどうしようもなかったのです。友達の輪に入れない、目立たない、バレンタインチョコももらえない幼少時代を過ごしてきました。

今では当時の同級生と同窓会をすることがありますが、当時のことは誰にも触れたくない過去です。

 

 

高校に進むと、それまで以上に人と接することへの恐怖心が強くなり、同級生を呼び捨てにできず、友達に声をかける時でも「山田クン」「斉藤クン」とクンづけしていました。

一番活発で楽しいはずの高校生活が友達との距離がうまく作れず、いつも取り残された気持ちでした。

当時の流行はバンドとダンス。

しかし、私はどのグループにも属せず、ただ平凡な毎日を送っていました。男子校生活を送っていたので、女性と出会う機会も限りなく少なかったです。でも、女の子にもてたかった。。

今でも過去に戻りたくない、そんなコンプレックスいっぱいの学生時代を過ごしました。

でもその分、とても幸せな家庭に育ち、家族の大切さを知りました。

一浪し、受験戦争に敗れた私は人生が真っ暗になった気持ちでした。

汗臭い男子高生活から一転、華やかに女性がいる代ゼミでも、女性に目もくれずガリ勉の毎日。偏差値が50代前半から76へと急上昇し、ここで努力がようやく報われた経験をしました。

 

 

その後、東京の大学生になった初日の入学式で始めてあった人に「クン付けなし」で話しかけ、友達ができたことをきっかけに、ようやく引っ込み思案な性格が解消できました。

しかし、決して裕福な生活ではなく学費も含めて自給自足の毎日。

築50年以上でエアコンなしの、4帖半生活を送っていました。お金がなく、バイトを6個かけもちする毎日。

そんな中で幸いしたのが、たくさんの友人との出会いです。お金には代え難い大切なものをたくさん得ました。高校までの反動で、若干ヤンチャな時代も過ごしました。

 

 

その後、外資系IT企業に就職しましたが、入社後最初の仕事はDMの発送。外資系IT企業に入社したものの、英語も話せず、エクセルもパワポも使えずITの知識なし。社内で交わされる言葉が全くわからずでした。こんな私はスタートの時点で同期に大きく差をつけられてしまいました。

悔しさ、焦り、危機感、コンプレックス、こういった感情とともに私の社会人生活は始まったのです。

 

ブログをきっかけに書籍の出版やメディアインタビュー

 

その後、仕事で様々な苦労と工夫を重ねて、たくさんの人たちから成長の機会をいただきました。

そして「こうして苦労して培った経験をオープンにし、社会に貢献したい」という思いで、2008年に「30代の人生戦略ノートと成長日記」を開設。そのブログは半年後に「週刊ダイヤモンド」に人気ビジネスブログとして特集されました。その後、月間のPV数が10万を超えるようになりました。現在はアメブロ公式認定ブロガーとして、アメブロオフィシャルサイトを運営しています。

その後、企業や各種団体からの講演依頼が増え、「Think Globally, Act Locally(世界思考で考え、日本の足元から固める)」をテーマに、グローバル経験に基づく様々な活動やノウハウを積極的に発信しています。今では、月一の勉強会である「金田博之実践MBAマネジメント養成講座」を開催しています。

日本を元気にすることを目的に、企業研修やセミナーでの講演の機会もいただき、累計1,000名を超える参加者の皆さんと交流してきました。

 

 

ブログがきっかけで10冊の書籍を出版。そして出版がきっかけで、プレジデント、ダイヤモンド、東洋経済、GQジャパン、日経トレンディー、日経ビジネスアソシエ、THE21など、各種メディアに多数インタビュー掲載いただきました。

そしてあるご縁から、私が卒業した母校の東京都立大学での経営戦略講座の講義、あるいは白百合女子大学でのグローバルビジネス講座の講義も行い、再び大学のキャンパスでお仕事をすることもありました。

 

 

家族と過ごす最高の時間

 

そして収入が安定し始めた頃から、毎年親孝行も兼ねて両家両親と海外旅行に行き、自然を満喫。家族間でたくさんの笑顔と会話に溢れた素敵な時間を過ごすようにしています。もちろん、費用は全て私持ちです。だって、ここまで成長させてもらったのですから。

1回目は、私の両親にとって初めての海外旅行でした。だから初めてのパスポート取得。これだけでも親孝行できたかもしれません。これから親が行ったことがないところを全部連れて行きたい。

そして、私の実家が山口、妻の実家が長野。だから両親同士が顔を合わすこともそれほど頻繁ではありません。だから年に一度は両親同士が会話をする。しかも1週間近く朝から夜まで一緒にすごしてみる。家族に話題はたえません。

そして海。買い物や移動を思い切って排除することで。両親とのゆっくり、のんびりした時間をすごすことができる。ある時はオーシャンフロントでみんなで寝そべりながら一緒に星を見ました。

そしてある時は、二人で散歩をする両親を見て心が癒されました。後日両親から手紙が来ましたが、新婚旅行のようだったみたいです。そしてみんなで海を泳ぎ、はしゃぎました。これほど笑顔になれ、幸せなことはありません。

私にとっては年に一度の最大の親孝行イベントです。

 

仕事が全てじゃない。趣味が増えバンド活動まで

 

趣味はスキューバーダイビング、カラオケ、読書と海外旅行。

私が音楽に目覚めたのは高校生の頃でした。当時はいわゆる「バンドブーム」の全盛期。『イカ天』(三宅裕司のいかすバンド天国)という番組が人気で、番組出身のバンドが多く活躍していた時代です。だから日本のロックサウンドが自然と耳に入ってきたのです。私もロッカーに憧れていて、周りではバンドを始めた人もいたんですが、残念ながら私はそうした輪には入れず、高校時代はロックを聴くだけでした。

しかしそれからも当時の思いが残っていたのか、とにかくカラオケが大好きで、もっと本格的に音楽を楽しみたかったのです。

そしてボイストレーニングに通うこと5年。その後バンドを結成して、積極的にライブ活動を行なっています。2016年は豪華客船を貸し切っての船上ライブを行い、これまでお付き合いしてきた皆さんと楽しいひと時を過ごすことができました。

 

 

コンプレックスは最高の飛躍のバネになる。

早く逆境を経験すれば、それだけチャンスはやってくる。それだけ辛い人の気持ちがわかる。だから応援したくなる。

私が今、人に胸を張って誇れることがあるとすれば、こういった悔しさや危機感をバネにして努力する力を身につけることができたことです。

ここから先は、なぜ私がこのように変化できたか?そして今なお変化し続けているか?

このブログで共有していきたいことです。

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今日も明日も、あなたにとって、私にとって、よい一日でありますように!

お互い切磋琢磨していきましょう。