【長編第3章】外資系トップエリート?? のリアルなうつ体験談:本当に辛いときに助けてくれる人・応援してくれる人は宝

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明日に不安を感じる多くの方への希望にささげます。

私は過去にうつ病にかかったことがあります。しかしその後、当時よりも大きな責任ある仕事に預かり、大きなプレッシャーにも打ち克ち、そしてうつ病になった部下を何度も再生させることができるようになりました。なんせ自分自身がうつ病になったわけですから、その兆候、対策、そしてその人の立場にたって親身に考えることができるのです。今では企業にお声がけいただき、講演する機会もあります。

欧米のMBAでは「メンタルヘルス 」を扱うクラスがあり、しかもそれが増えています。私も ➡INSEAD大学でメンタルヘルスについて講義を受けたことがあります。この分野はある程度の理論武装も必要で、MBAで取り上げられるくらいですから、リーダーになる人は必須知識です。もちろん、リーダーを目指さない人もその予防として。

実際に、企業の前線で仕事する人の生のメンタルヘルス体験を聞く機会はなかなかないでしょう。だって、それを言うことはその人にとってリスクなこと。他人ごとのように言うことなら言える人はいます。それだけ、自分自身、コラムにすることは自分が公衆の面前で裸になるくらい恥ずかしいことであり、またそれによるリスクも考えられます。しかしながら、当時の私と同じように悩んでいる人のお役に立てるなら、私の体験談も浮かばれます。

そんな思いで当サイト初めての長編になりますが、私の生々しい体験談、予防方法、克服方法をお伝えします。随所に「金田の人生戦略ノート」のコラムを入れていますが、これは私が今でも続けているノートから抜粋した内容です。(➡人生戦略ノートについてはこちら)

それでは、前回に続く第3章です。

 

目次 (下記太字は本日の範囲)

1. 「できる人」ほどうつ病になるリスクが高い
2. 攻めはよくても「守り」が圧倒的に弱かった
3. 「過信」が原因でストレスコントロール不能に
4. 本人は「異様な変化」に気づかない
5. まさか自分が!?
6. 瞬間にしてすべてを遮断される
7. 本当に辛いときに助けてくれる人・応援してくれる人は宝
8. 人は誠実に生きていけば必ずいいことがある
9. アクセルだけでなく、ブレーキも踏もう
10. 「長距離走型」の思考法を身につける
11. 上司を主体者に変える
12. 部下を主体者に変える
13. ストレスノート
14. メンタルヘルスのその後
15. 最後に

 

本当に辛いときに助けてくれる人・応援してくれる人は宝

妻は自分がうつと診断されたことは知っていましたが、まさか突然会社に行けなくなり一日中、何もする気が起きなくぼーっとする主人を横目に家事をしていました。感覚的には「突然首を宣告された主人」、といったところでしょうか。

1週間もすると、朝一にメールをチェックする習慣がなくなりました。不安というよりも、もはや「割り切り=どうしようもない」という感覚が強かったのでしょう。うつと診断され、自宅で強制療養することがわかっていても、それを許容してしまうと過去の成功体験を全て失ってしまうようで、それにあらがうように、隔離された状況でも「仕事環境」を作っていました。

失礼を承知で言うと、仕事をバリバリやっていた人が定年を向かえ、それでも仕事環境から抜け切れず、スーツを着て外出する気持ちがわかりました。それも諦め、すべてを受容したのが1週間後。

下関の実家にも帰りました。リフレッシュしようと、家族との時間をゆっくり過ごすことにしました。そんな私を家族は根気強く「いつもと同じ素振り」で支えてくれました。

びっくりしたのは、環境を変えて初めて自分がどれだけ精神的な負担が大きかったかわかったことです。モノにあふれやることが何かある都会から、自然にあふれやることが何もない田舎に来て、初めて気づいたことでした。頭痛等の「わかりやすい異常」はほぼ無くなり、その分、「なんともいえないダルさ」が残るのです。あれだけ身体を休めても。それだけ都会生活は自分を「マヒ」させていたということ。この経験から、時々は自然にふれて自分の精神の健康チェックと回復をすることが重要だと実感しました。

それでもしばらく、空虚だった心を癒すことは決して簡単なことではありませんでした。じっくり、じっくりとその心のスキマを埋めるように会社環境とは違った田舎の自然や景色を目と心に焼き付けていました。

心の中が充電されるにつれ、その間、私は自分自身と向き合い、自分はこれからどうして生きたいか、何が大事なのか、を考える時間をたくさん持てるようになりました。

そんなとき、仕事で大変お世話になったある人とワインバーでいろんな話をしました。

ヒトとして深みがある人は、必ずといっていいくらい「過去につらい経験」をしています。 それを乗り越えた経験・乗り越えられずに限界を知った経験、 周りに支えられた経験、見捨てられた経験・・・つらい時ほど普段とは違った景色が見えてきます。

だからこそ、そうした経験を重ねている人は、 普通の人と違う視点・違う表現・違う意見・違う風格がある。そんな人でした。

特に印象的だった発言が 「自分がつらい時、周りの視線は冷たくなる。そんな時でも助けてくれる・応援してくれる人は絶対に大事にすること

当たり前のことなんだろうけど、この一言がとても身に染みました。

私のつらい過去が一気にフラッシュバックし、 「そういえばあの時は・・・」「確かにあの時も・・・」と思い当たることがたくさんありました。

私のキャリアもこうした土台のもとに築き上げられたものなんですよね。うまくいっているなら、それに何倍も比例して裏側で苦労している。 キャリアが順調に行っていればその分「出る杭」も打たれますし、 陰でどんな妬みをかっているかわからない。

確かに、いい時よりも、悪い時のほうが人間の本性が出てくる。私の経験では、そんな時に攻撃してくる人もいました。相手からすると自分を蹴落とすチャンスなんでしょうね。 あるいは人の弱みを突くことが楽しいのでしょう。

しかし、周りがさーっと引いていく時に、応援の手を差し伸べてくれる人もいたのです。 本当に有難い(ありがたい)、貴重な心の支えになってくれました。

こういう経験を積み重ねていくことで、人を見抜く眼力が付いたように思えます。 これはロジックでも、分析力でもなんでもなく、本能。 ある種の恐怖体験の積み重ねによる、自分の感覚が研ぎ澄まされたのでしょうか。

これからも、つらい時ほど助けてくれる人を大事にしていこうと改めて感じた瞬間でした。

また、自分自身も本当につらい経験を積み重ねてきました。だからこそ、誰かが重大な失敗や失態をおかして、 周りがさーっと引いたり攻撃的になっても、 自分はその人を支えられる人になろうと自分自身に再確認をしたのでした。

まずは大きいことを言わず、自分の身の回りで助けてくれている人たちを大切にする。

うつになったおかげで周りの気持ち、部下の気持ちがわかる人間になりました。辛いと思うヒトには、もっと辛い経験を自分ができているから、まだまだがんばれる応援ができるようになったのです。

金田の人生戦略ノート: 本当に辛いときに助けてくれる人・応援してくれる人
Aさん、Bさん、Cさん・・・各自のことをノートに書き残しました。こういう時に初めて気づくことがあります。どれだけ当時の私が周囲の配慮に気づかなかったか。仕事はバリバリでどれだけ数字ができても、KPI(数字目標)ばかりで人に感謝できない温かみのない会社には属さない。そしてそんな組織、そして個人にならないようにしたいと感じました。それはゆくゆくはロボットに置き換わっていくでしょう。

 

人は誠実に生きていけば必ずいいことがある

会社を復帰して仕事関係のたくさんの方から温かい声をいただきました。

「心配してたよ」
「元気?」
「また何かいろいろやりたいね」
「あまり飛ばしすぎないでね」

こうした声をかけていただく度にうれしくなりました。もちろんその逆もありました。きっと「触らぬなんとか」です。

これまで真面目に仕事で接してきてよかったと思います。 とかく仕事が忙しくなると、実績や数字を重視してしまい、人間関係をおろそかにしてしまいがちです。

「自分さえよければ主義」に走ると、信頼関係を失うもの。

私は、仕事の中でたくさんの人から成長させてもらいました。もちろんそれは今でも。

「仕事の人間関係は所詮仕事のことだから」と割り切ってしまえば所詮それだけですが、 私は仕事の人間関係こそ、同じ目的や悩みを共有できる同志であり、 プライベートな関係にはないある種の温かみがあると思います。 それは私の部下に対しても同様です。ただ手足のように使う存在ではないのです。日本だけでなく海外の同志もそうです。

「信頼関係」というのは、仕事をしていく上で欠かせない要素です。

忙しさのあまり、つい感情的に人と接してしまう人、 感情をなくして淡々と人と接してしまう人にならないよう、これからも仕事で関わる人たちを大切にしていきたいです。 もちろん、プライベートで関わる、こんなにドタバタしていてヤンチャな私に付き合ってくれる仲間も大切に、大切にしていきたいです。

私は会社を休み、長期で療養したときに、人の温かさに触れました。これはもしかしたら自分がうつになったから気づけたこと。こうして立派に成長できた機会になれたと割り切れればうつ体験も決して悪かったわけではなかったのです。この貴重な体験と感謝を胸に、 またこれからも明るく、楽しく、前向きに仕事をしていきたいです。

人は誠実に生きていけば必ずいいことがあります。

金田の人生戦略ノート: 明るく、楽しく、前向きに
元日本IBMの最高顧問(1993年代表取締役社長、1999年IBMアジア・パシフィック・プレジデント兼日本アイ・ビー・エム代表取締役会長、2012年より相談役)の経済同友会の終身幹事の北城恪太郎さんにお会いして頂戴した言葉です。それぞれの頭文字をとって「あ・た・ま」とおっしゃっていました。この言葉は今でも私の生活や仕事の上で意識している大切な言葉です。

 

アクセルだけでなく、ブレーキも踏もう

その後、ある会社の代表から「アクセルを踏むばかりじゃなくブレーキも踏むこと」を教えてもらいました。その人とお話しをして言われたことはこんな内容です。ずばっと射貫かれました。

  • 賢すぎる、軽く決める (受け答えが早い)
  • 成熟していない、どっしりしていない、落ち着きがない
    →「スローダウンのスキル(アクセルを踏むスキル)」が必要
  • いいように使われている(器用貧乏)

この内容、私の➡ 人生戦略ノートの「十戒」に書き残し、今でも気を付けるようにしています。

十戒(人生戦略ノート)
※クリックすると拡大

アクセルを踏めば、まっすぐな直進とある程度のゆるいカーブは曲がれますが、ブレーキを踏まないと大きな変化というカーブを曲がり切れません。どんなエンジンを積んでもオーバーヒートしてしまいます。

自分に、あるいは自分の身の周りに何か変化を感じたら、 そこでアクセルを踏んで乗り切ろうとするだけでなく、 ブレーキを踏みながらそのカーブを曲がり切り、そして次の直進に備えてアクセルを全開に踏んでみるのです。

当時の私は、困難というカーブに直面した際にいつものようにアクセル全開で突き進もうとしていました。ブレーキを踏んで減速し、その間にいろんなこと(打ち手)を深く考えて、周りの状況もよく見て、そしてカーブを曲がりきったところで再びアクセルを踏むことが必要だったのです。

金田の人生戦略ノート: 十戒
私は過去の反省と失敗に基づく自分の十戒というものをつくって、自分の暴走を制御しています。これはあくまで私の過去の経験の中での失敗に基づくので、誰から教わったことの受け売りではなく自分で考えたことです。自分なりに失敗を反省し、工夫をし、改善していく努力をしています。

 

次頁に続く。私の体験から得た上司や部下とのうまい付き合い方について言及します。

 

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今日も明日も、あなたにとって、私にとって、よい一日でありますように!

お互い切磋琢磨していきましょう。

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